カテゴリ:311のあと・・・( 15 )   

2016年3・11   

5年節目と言われても
昨日と今日、
今日と明日で何か変わるわけでない
節目などといわないでほしい

ある被災地の方が仰ってました。
ハッとしました。
せめて胸に手を当て、悼み、慈しみ、忘れることのないように日々を大切に、生きていきたいと思います・・・
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by seechan2525 | 2016-03-11 05:33 | 311のあと・・・ | Comments(0)

もうすぐ5年・・・   

先月末、かーさんの仕事に荷物にまぎれて、宮城県沿岸に出張に行ってきたぞ!
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昨年末、岩手県沿岸に行き、震災の復興がなかなか進まない状況を肌で(皮膚で?)感じ、愕然としたオイラたちだったんだが・・・
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モチロン、至る所に仮設住宅はあるんだが、街づくりはかなり急ピッチで進んでいるみてぇなんだ。
もう、ナビさえ付いていけないくらい堤防ができ、区画が変わり、道路ができている・・・
何度も道に迷い、そこかしこに立つ作業員の方に道を聞いて、ようやく辿り着く。
地元の人達も戸惑うほどの進捗、本当に早いなあと感動したが・・・c0158573_16491444.jpgr>

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こんなふうに震災の爪痕はまだ至る所に残っている。
商店街は殆どどの街もプレハブでの、集合体による営業だし・・・
市民の生活は復興にはまだ遠いのかな。
複雑なオイラ達だった。
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by seechan2525 | 2016-02-02 16:37 | 311のあと・・・ | Comments(0)

あの日から四年。   

今年もこの日がやってきました。

あちこちで、自分の場所で何とか心を寄せようと、

たくさんのお誘いがありました。

私はわたしの居場所で。

職場で全館放送での黙祷に頭を垂れ、

あの日のことを偲びました…

自分の居場所で、自分に出来ること…

こんな事だけれど。忘れない…
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by seechan2525 | 2015-03-11 20:51 | 311のあと・・・ | Comments(0)

三年目   

あれから丸三年。

あちこちで色々なイベントがあって、
追悼や哀悼の催しが開かれている…

オイラには何も出来ないけれど、
かーさんの職場でも15:46には皆で 
黙祷をしたんだって。
オイラも留守番しながら、
その時間には目を瞑った。

無事に過ごせたオイラ達は、
何か出来たのだろうか…
毎日を生きることは当たり前の事だけれど、
その「当たり前の事」を、
どれほど大切に過ごして来れただろう。
犠牲になられた方々に恥ずかしくない時を、
過ごせただろうか…
そんな風に考えて過ごした、三年目の今日。

オイラも思い出しながら過ごした一日だった。
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by seechan2525 | 2014-03-11 20:14 | 311のあと・・・ | Comments(4)

大好きだった海を見に・・・   

実は昨日、オヤジとかーさんがよく釣りやドライブを楽しんだ、
東松島市の、野蒜(のびる)と言う海岸の街へ行って来た。
聞き覚えがあると思うが、東松島市と言えば、
昨年の震災で甚大な被害を受けた地域の一つ。
以前は“奥松島”と言われる程の風光明媚な海岸と、
こじんまりした入り江に小さな幾つもの港がある、
仙台からでも夏休みと言えば家族で集うような、穏やかな港町だった。

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野蒜海岸へは塩竈や松島を通り抜けて行く。
あちこち用足しをして、松島で少し遊んだ為に、陽が落ちかけてしまった。
でも以前から気になっては居たし、好きな港町をこの眼で見たいって、
オヤジ急に決意したみたいだ。

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これ、港へ出る途中にある“奥松島縄文村歴史資料館”
かーさんとオヤジは以前入ったことがあるらしい。
見た目建物被害などは無さそうだな、ホッとしたぞ。

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でも行く途中途中の集落のあった筈のあたりは、こんな風・・・
両脇遮るものも全く無くなり、海岸線に沿って所々に松の木が靡いている程度。

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あの建物って、もしかしたら松島野外活動センター?
瓦礫に埋もれて、当然人っ子一人見当たらねえ・・・こんなことが・・・

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とうとう目指す港へ出る・・・
両脇は民宿街だったのに、今は仮設住宅がびっしりと並んでいた。
狭くて窓も小さくて、暑そうだし冬の寒さが忍ばれる。

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勿論港の光景はすっかり変わっていたが、
驚いたのはこの波!
陥没したり地盤沈下したのかな、道路の際まで波がタプタプ。
満潮が近いらしいんだが、それでも以前はこんな事無かったのに・・・

日も暮れて来たので、引き返すことにする。

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こんな風に、街のあちこちでは1階部分の無くなった建物や住宅が沢山。
瓦礫こそある程度まとまって除けてあるが、住処を失った人達の思いはどうなったろう・・・

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そして帰り道。
夕陽を浴びてキラキラ光るJR仙石線・野蒜駅。
車が無い人はみんなこの駅を利用し、海水浴に来たり野外活動センターでキャンプしたり、
縄文村で勉強したりしたもんだ。
残念なことに仙石線自体が復旧していなくて(高城町駅 - 陸前小野駅間が不通)
駅舎も痛みが激しいみてぇなんだ・・・でもな・・・

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駅舎の端にはこんな横断幕が・・・
地元の人達の希望とJRの心意気、きっと近い将来復活すると思う!
オイラ達は信じて待っているぞ。



ファン限定公開にしようと思いましたが、まだまだ復興の進まない地元の現状を、
シボちゃんがどうしてもお知らせしたいとのことでしたので、公開することに致しました。
何時も能天気な『シボな毎日』とはそぐわない気がしますが、
釣り好きシボ家のライフワークである港巡りの現在を記録しておきたく思い、
拙い写真と文章ですが、残すことに致しました(かーさん談)

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by seechan2525 | 2012-09-16 11:00 | 311のあと・・・ | Comments(2)

残骸   

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by seechan2525 | 2012-05-05 16:11 | 311のあと・・・

365日目   

実は昨日、3月10日は宮城県内各地で追悼のイベントがあった。
泉が岳スキー場と言うところで2万発の花火を打ち上げたり、
津波の被害のあった名取市閖上で震災後初めて、元の市場が開催したり、
仙台市若林区の学校で、合同慰霊祭があったり・・・
オイラ達は何も出来なかったけれど、出掛ける途中の町中で、
アーケードのイルミネーションに目を奪われた。

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見えるだろうか?
アーケードの天井部分に映し出されたステンドグラス。
仙台名物のアーケードが、こんな風に彩られて、通行人が足を止める。
みんな同じ気持ちで空を見上げる。
ああ、あれから一年だ・・・って。

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今日3月11日のその時、オイラもオヤジもかーさんも、
家で静かに普通に過ごしたいと思っている。
“静かで”“普通の”暮らしが、どれ程大切で愛おしいものか、痛いほど知ったから。

その時間は目を閉じて(オイラは閉じれねえが)哀悼の意を表したい・・・
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by seechan2525 | 2012-03-11 12:55 | 311のあと・・・ | Comments(4)

秋の彼岸   

台風で大変な事になってたみたいだな。
ここ東北でも冠水したり電車が全部止まっちゃったり、亡くなった方もいたらしい。
謹んでお見舞い申し上げるぞ・・・

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台風が過ぎた昨日、お陰様でようやく何日ぶりかで陽射しを見た、三連休の初日、
お盆に行く事の出来なかった、かーさんの方の山のお墓と
オヤジ方の海辺のお墓に言って来た。

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山のお墓の道中は、眼に心地良い黄金色の稲穂のお迎え。
台風で倒れた所もあったが、概ね元気で収穫を待っている。ヨカッタ・・・

でも、でもな。。。
オヤジ方の海辺のお墓は、春彼岸には行けずにGWにようやく補給したガソリンで
お線香だけ付けて来たんだが、大変な事になっていたんだ・・・
写真も撮れねえ位・・・撮っても、とても載せる事が出来ねえ位、ひどい光景だった。
オヤジ方の海辺のお墓は仙台空港に近く、たっぷりと津波を被り、当然犠牲者も出た。
春はめちゃめちゃになったビニールハウスや、民家に突っ込んだ漁船、
田んぼに突っ込んだトラックなんかを見て愕然としたんだが、
さすがに半年過ぎた頃だし、少しは片付いてるかな?と思ったんだ。
でも、今回の台風のせいで、本来稲穂とコスモスの大群に出迎えられる筈の光景は、
更に一変していた・・・

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お墓周辺は見事な水田で、白鷺がいたりしたもんだが、
これ!まるで湖だ。。。
震災の影響でただでさえにも冠水して水が引きにくくなってるのに、
台風のせいでまたこんな事になっちゃったんだ。

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それまで何度も訪れた海辺のお墓・・・
海辺とは言っても、さざ波が聞こえる訳でも汐の香りがする訳でもなかったので、
かーさん、こんなに海に近いとは思ってなかったらしい。
それが震災時の津波で松林の全てがなぎ倒されたのを見て、
初めて海のそばだったって知ったんだって。
松林がなぎ倒されてなくなった為か、今回の台風のような大雨や高潮の時、
モロに海水がこの辺りを呑み込んじゃうようになったのかも。

時が過ぎても、自然の驚異に晒されて未だに大変な想いをしている方達が居る・・・
それを改めて思い知らされて、愕然とするオイラだった・・・
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by seechan2525 | 2011-09-24 11:04 | 311のあと・・・

二日目   

翌日(3月12日)

慣れない車中泊と夜通し続いた余震で、まともに眠れるはずも無く、それでも昨日の吹雪が嘘のような美しい朝が来た。

早速家に戻り足の踏み場を取り敢えず確保。
それから食料確保!早めに(この頃まだ7時前)学校へ行こう!
でも既に学校は食料を求める人で長蛇の列。
おまけに、仕方ないとは思うものの、本当にしょうがないとは思うものの・・・
糞便や人の体臭、それに混じった食べ物の匂いで狭い体育館は充満していた。
5分ほど並んで吐き気を催す。
やむを得ずオヤジ様に引きずられるようにして、寒い屋外へ出る。
情けない。。。情けなかった。
でも二か月が過ぎた今でも、このようなプライバシーも、手足を伸ばす空間も限られる避難所に生活する人たちがまだ居るのも事実。
それを思うと・・・それだからなお罪悪感は私達を苦しめているのだ。

それでもお腹は空く。開いているコンビニを探し、自転車で町中を走る
ようやく飴を手に入れ家に戻る。パンもオニギリもカップ麺も、乾電池もホッカイロもガスボンベも全く手に入らない。
これじゃ痩せちゃう(痩せたいが・・・)、少し足を伸ばして太白区の長町商店街まで行こう!
あそこなら色々なお店があるから、1店や2店くらい、何か売ってくれるだろう。

コンビニやスーパー、食べ物を扱うお店の前には必ずと言っていいほど行列、
でもその店が何かを販売する保証は無く、シャッターさえ開いていないのだ。
その中でお肉屋さんの前に「9時からコロッケ売ります」の張り紙を見つけ
小躍りして列に加わる。
ようやく手に入れた熱々のコロッケ。。。
さくさくの衣を噛み締めると、ねっとりと甘いジャガイモが流れ出て舌を焼く。
こんなにおいしい食べ物が、この世にあったなんて・・・
本当にそう思えるほどの美味しさだった(実は芋コロッケ少し苦手)。
買った店先でオヤジ様と二人、涙ぐみながらハフハフ食べた。
そして3個残ったコロッケをカイロ代わりにして、また店を探す。

今度はお米屋さんの前に行列。
「11時からオニギリ売ってくれるんだってよ」やった!有り難い。
手に入れた時には既に12時を過ぎていたけれど。
コロッケとオニギリを手に、家に帰る。
ところでビンボーが売り(?)のシボ家、常にはお金など持っていないのに
11日の昼にたまたまお金を下ろしておいて正解だった。
小学校の配給以外は普通にお金を出して何でも買わなきゃいけないのに、
銀行ATMが全く機能していないんだから!

そしてシボ家の冷凍庫には食物が無くても、保冷剤だけはたっぷりと詰め込まれている。これが後々功を奏した。
丸三日電気が来なくて冷蔵庫が冷えなかったにも拘らず、中のものは腐るどころか、アイスクリームも溶けずに済んでいた!ラッキー!
水だけは最初から出続けてくれていたけれど、食料確保は最重要問題。
食べたい気持ちをグッと抑え、オニギリ3個とコロッケを1個残して片付けと掃除を始める。

掃除とは言っても停電の為掃除機が使えない。
ホウキと塵取りで、原始的にゴミを集める。
ところが食器や飾り物が壊れて砕けたゴミは重く、ホウキでは中々集められない。
結局手で集めてゴミ袋に入れる。
埃だらけの家の中、取り敢えず今晩眠る事が出来るような状態にした。
・ ・・が、陽の射さない家の中は驚くほど寒い。
電気は来てないけれど我が家には石油ストーブがあるのでそれで暖をとろうと火をつける・・・が、着かない。
実はストーブの上に仏壇や諸々のものが落っこち、更にその勢いで載せていたやかんがひっくり返り、辺りは水浸しとなっていたのだ。
当然ストーブはびしょ濡れで、火をつける事など出来なかった。。。
この事が私にとって、一番の辛い誤算だった!
灯油さえ買っておけば停電でコタツもヒーターも使えなくても暖かく過ごせるし、ガスがでなくてもストーブで煮炊きが出来ると思っていたから。
結局便利な近代生活(?)に慣れ切っていた私達にとって、ライフラインはどれが損なわれても正常に機能し難いと言う事だ。

寒くて寒くて、昼まだ陽の高いうちは、車の中でヒーターを付けずに過ごす事が一番暖かいのだと言う事になった。
でも夜になったらどうする?せっかくお布団で眠れるように片付けたのに・・・
何より、このまま車中泊で車のヒーターを使い続けたらいずれガソリンが底を付き、動かす事も出来なくなってしまう。
あっという間に日が暮れる、真冬並の寒さの中、私達は寒くても布団を被りながら眠れる家の中に戻る事にした。
幸いな事に電気の来ない冷蔵庫の中には、冷え冷えの発泡酒がたっぷり!
暖める事が出来ないけれど少しはおかずの残りもあって、暗闇の中で震えながらの晩酌。
ラジオから流れる絶望的なニュースに泣きながら耳を傾け、小さな懐中電灯の灯りでまだまだ続く大きな余震に怯える、二日目の夜が更けてゆく・・・
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by seechan2525 | 2011-05-14 10:14 | 311のあと・・・ | Comments(8)

その日   

3月11日の事、思い出したくなくて敢えて避けていたけれど
オイラ達は忘れちゃいけないのかな・・・と思うようになって来た
犠牲になった方達、未だに帰る事も許されず途方に暮れている方達にとって
被害の少なく日常を取り戻しつつあるオイラ達が
何事も無いような顔をして暮らしていちゃいけないのかなって
オイラ達に出来る事は、今回の事を忘れずに教訓として残していく事・・・
そろそろあれから丸2ヶ月が過ぎようとしている
かーさんの言葉を借りて、記憶を辿ってみる事にした


3月11日午後2時46分、何時ものように職場で郵便物の選別をしていた
ぐらり。。。という感じではなく、突然どーん!と、床から突き上げるような衝撃を受けた
「地震?」「えっ?こんなに急に強くなる?」などと、職場内が騒然となる
ただその時は、すぐ止むものと思っていた。長くてもせいぜい1〜2分の事だと。。。

何分経過しても弱くなるどころか、強さを増してゆく横揺れ
巨大な「何か」が地団駄踏むような地響きに、不安が増大してゆく
「危ない、皆外へ出て!」上司の声に我に還って
机の下に常備していたヘルメットと軍手を取り
既に停電で自家発電のみとなった薄暗い事務所の廊下を走る
外へ出てすぐ側の公園を目指すものの、道は波打ち、まともに走れない
既に公園は近くのオフィスから出て来た人々で一杯
全く治まらない揺れに皆不安で携帯でどこかへ連絡したりしている
この時携帯を持っていなかった私は、まだこの地震がとんでもない事になっていて
後に「未曾有の大惨事」とか「千年に一度の災害」と言われるものになる事など
気付く余地はなかった
公園に面したマンションから聞こえる、子供の悲鳴
会社の隣りにある結婚式場から、衣装合わせの為に訪れたのか
ウエディングドレスを着たまま、式場関係者に伴われて外に出る女性
停電で信号も、コンビニの看板灯も、街灯ビジョンも全く機能しておらず
間断なく訪れる余震に合わせたようにひらひら降り始めた雪は、あっという間に吹雪いて
周りは真っ暗になっていく
降り積もる雪だけが白く鈍く光っている

一日の後始末をして、自家発電で灯りとPCは動いているものの、
暖房の消えた事務所を後にしたのは、すでに6時を回っていた
仙台駅東口の駐輪場へ自転車を取りに向うも、真っ暗で人の居る気配は無い。
暗闇の中、携帯を懐中電灯代わりにして自転車を探す。
オヤジ様は無事とのメールが、ようやく繋がったばかりだったけれど
電話は繋がらないし、実家の状況も全く不明で、とにかく帰る為に自転車を漕ぐ。
既に凍結していて滑る路面と、信号が無いためノロノロ運転の車の間を縫って
走る、走る・・・よくまあ転ぶ事も無く帰れたものだと、今になって思う。

オヤジ様が、自宅近くの駐車場から突然声をかけて来た。
契約している駐車場はブロック塀や周りのアパートと接近し過ぎていて危ない為
少し離れた場所で私の帰りを待っていたのだと言う。
ああ、無事だった。。。シボちゃんは?
「ほら」オヤジ様はシボちゃんを探し出してくれていた。
安心感と、急に襲って来た寒さが身に沁みて、私は震え出した・・・
「家の中はもう入れないぞ。明日明るくなったら部屋へ戻ろう。今夜は車中泊だな」
もう何でも良かった。
オヤジ様とヒーターの効いた車に乗り込んだ頃、あれほど激しく降っていた雪は止み、
嘘みたいに見事な星空となっていた

少し暖まると、まだ続く余震の中、現金にも空腹を感じはじめた。
家には入れないとなると、コンビニやお店で食料を調達しなければ。。。
でも帰る途中立ち寄ったコンビニは軒並み「本日休業」だの「販売出来ません」だのと
張り紙が有り、買い物など出来る状況ではない。
仕方なく、情報を集める為もあり、近くの小学校へ行ってみる事にする。
うまく行けば食べ物も頂けるかもしれないし・・・

案の定ご飯と水の配給があると言うので、既に沢山の人でごった返した体育館で行列に入る。
テレビや映画で見ていた「配給」と言うものに、自分も参加することがあろうとは、
想像だにした事が無かった。何だかとても疲れた。
突然、発電機で体育館を照らしていた投光器が光を落とし、
まだ余震の続く体育館は暗闇に包まれて悲鳴が上がった。
パニックまでは行かなかったけれど、暗闇の中ただひたすら待ち続ける事の不安と恐怖。
皆よく我慢していたものだと思う。。。
その暗闇の中で、ようやくひじきご飯の配給が再開されて、オヤジ様と二人、
それぞれ頂いてまた車へ戻り、会社へ持っていった水の残りで食事を摂る。

地震発生からようやく一息ついて、ほっとしてブログをアップした。
ガソリンが減る事を承知で、ヒーターを炊き続け
やはりバッテリーが切れる事を承知で携帯のワンセグを観る。
小さな画面に映る映像はどうもピンと来ない・・・が、しかし。

小さなスピカーから聞こえる惨状には、心臓の鼓動が外へ聞こえるかと思うほどの衝撃があった!
津波は大津波となり、私の大好きな三陸の街や村、港を呑み込んだ事。
火災の起きた家屋が、その津波に流され延焼している事。
仙台の都市ガス供給の基地となっている、宮城野区の港が炎上している事。
そして。。。私の住んでいる仙台市若林区の荒井地区で、2〜300人と見られる遺体が確認された、と言う事!
遺体確認?発見じゃないの?
なぜ2〜300なんて曖昧な数字なの?
2〜3人の間違いじゃないの?
(まだこの時、福島原発の放射能漏れは話題になってはいなかった)
暗闇の中、不安になるニュースの音ばかりが頭の中に響き
やけに星の奇麗な車の中での一夜は更けてゆく・・・
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by seechan2525 | 2011-05-09 22:32 | 311のあと・・・ | Comments(12)